ウチはとても映画好きの家族で、週に1度は必ずみんなで映画を観にいく習慣があったんです。加えて私が子供のころはトレンディドラマ全盛期で、母親とふたりで夢中でテレビ鑑賞しながら、ダブル浅野のおふたりに憧れる毎日でした。
とはいえ、小学生の私が「ドラマに出たい!」と言い出したときは、両親もビックリしたようです。でも、ダメでもともとで、人生経験のひとつとして挑戦させてもいいかもしれないと思ってくれたようで、私にチャンスがまわってきたんです。
『金田一少年の事件簿』に出演したときはまだ9歳でしたから、緊張するというよりも、テレビに写っている人が目の前にいるという不思議な感覚がすごく楽しくて。いまだに強く記憶に残っているのは、ともさかりえちゃんが私と一緒にお菓子の「ねるねるねるね」を作って食べてくれたこと。それはもう、夢のような体験でした。
人前で演じるということを自分の仕事と意識するようになったのは、それからずっと先のこと。印象深いのは、『神様のいたずら』(2000年、フジテレビ系)というドラマで岸谷五朗さんの娘役を演じたときです。コミカルなシーンの多いドラマで、早いテンポのセリフのやりとりはむずかしかったけど、それがピタッとはまったときはすごい爽快感なんです。演じるということの楽しさをこのドラマで学んだような気がします。
2003年、『奇跡の人』のヘレン・ケラー役で初舞台を踏んだときは、大きなカルチャーショックでした。
毎日稽古場に通ってひとつの役をつくりあげていく作業は、学校に通うみたいで楽しかったし、その成果を初日で目の当たりにしたときの感動は忘れられないものになりました。カーテンコールでお客さんがスタンディングオベイションをしてくれたとき、舞台の上から見た光景は私にとって、一種の原風景です。たぶん、これから舞台に立ち続けていく上で、このときの体験がよりどころになるんだなという予感がその瞬間からありました。
そういうわけで、『奇跡の人』はとても思い出深い作品なんですが、まさかその6年後にアニー・サリヴァン役がまわってくるとは思ってもいませんでした。それはまさに「奇跡」でした。
でも、原作を読んでみると、実在のサリバン先生も 20代の若さでヘレンと出会っているんです。赴任してきた先生があまりに若いので家族がガッカリする場面なども描かれていて、もし私がサリバン先生を演じるチャンスがあるなら、20代のうちに出会いたいと心のどこかでは願っていたんです。だから、願い通りのことが起こったときは、本当に驚いたんですね。
もちろん、サリバン先生として舞台に立ったときは、彼女がヘレンの家族の前で感じただろうプレッシャーを同じように感じましたけど、それが逆にいい方向に働いたんでしょう。この舞台も私には忘れられない、幸せな思い出になりました。
舞台を終えて役を離れるとき、「私はまた次の役に出会わなくてはならないのか」と途方に暮れるときもあるんですが、次の役に出会った途端、わくわくしている自分がいることも確かなんです。舞台には、人を惹きつけて離さない「魔物」が住んでいるのかもしれません。
話は前後しますが、2003年にヘレン・ケラーで初舞台を踏んだ私が2度目の舞台に立ったのは、蜷川幸雄さん演出の『ハムレット』のオフィーリア役でした。
『奇跡の人』がほとんどセリフのない役だっただけに、本読みの段階からダメ出しの嵐。オフィーリアといえば悲劇のヒロインとして有名ですが、彼女がハムレットに「尼寺へ行け」と言われる有名なシーンは、本当に苦労しました。そこでは、オフィーリアの最大限の悲しみを表現しなければならないんですけど、その方法がわからないんです。しまいには蜷川さんに「洗濯バサミでもはさめば痛みがわかるか」なんて呆れられる始末。
でも、ケチョンケチョンにダメ出しをされながらも、ある瞬間にカチンとスイッチが入ったように「はい、よくできました」と言われるときがあって、大きく目を開かされました。蜷川さんのおかげで、経験の幅がすごく広がりましたね。
蜷川さんにはその後も『ロミオとジュリエット』をはじめ、『白夜の女騎士』、そして『ムサシ』にも起用していただいていますが、とてもありがたいことですね。今回の『ムサシ』は、再演する舞台に立つ初めての体験なので、ちょっとわくわくしているんです。蜷川さんとの稽古場は毎回毎回、「はい、よくできました」という言葉を聞くまで苦労の連続なんですが、今回は初演のとき以上の力を出せればいいなと思っています。
取材・文/ボブ内藤 撮影/松谷祐増(TFK)











