宝塚音楽学校を受験したのは、音楽の先生やまわりの人たちにすすめられたからで、ちょっとした思い出づくりのつもりだったんです。人生の中で、「私、宝塚を受験したことあるのよ」なんて話のネタにできる経験をしておいてもいいかなと。だから、合格発表のときは、本当にびっくりしました。でも、せっかくいただいたチャンスなのだから、劇団に入って3年間は一生懸命やってみようと決意しました。
入学してから宝塚のファンになった私にとって、初舞台はとてもうれしく、楽しい体験でした。『ベルサイユのばら』という宝塚を代表する作品に出演することができたこともそうですし、フィナーレで大階段を降りてラインダンスを踊ったときは、「私もこれで、宝塚の一員になれたんだ」という特別の感慨がありました。
もちろん、初舞台に至るまでの2年間は、歌やダンス、演技の勉強についていくのがやっとで、キツイ毎日でもありました。子供のころから宝塚を目指して勉強してきた人たちがたくさんいる中で、私はどの教科も低空飛行。クラシックバレエを習っていた私としては、ダンスが唯一のよりどころでしたが、モダンダンスやタップダンスなどは本当にむずかしく、リズムに乗るのに苦労しました。
初舞台を踏んでからも、そうやって日々の課題を乗り越えるので毎日が必死だったように思います。
そんな私が、演じるということを楽しいと思えるようになったのは入団して7年目、『エリザベート』のルドルフという大役をいただいたときでした。先輩の香寿たつきさんの日本初演を観たときの感動が生々しく思い出されてプレッシャーもありましたけど、逆に自分だからこそ表現できることに徹しようと開き直って頑張りました。生活のすべてを役のためにつぎ込んでガムシャラに取り組み、自分の力を出しきったと思えたとき、本当のやりがいを知ったような気がします。
雪組の主演男役に指名されたのは、その4年後の2002年のことなんですが、実は私にとっては予想だにしていなかったことでした。
トップの登竜門といわれる新人公演の主役もつとめたこともなかったですし、自分にそれだけの器があるなんてことは考えたこともなかったんです。できれば、大好きな宝塚にできるだけ長く在籍できればいいなぁ、そんなことを目標としていた私にとって、トップの座は対極にありました。なぜなら、トップになるということは、退団という引き際も自分で考えなければならない立場に立つということですから。
でも、最終的にはこれまで自分を育ててくださった宝塚に少しでも恩返しができれば思って、お話をお受けすることにしました。誰もが望んでも手に入れられないチャンスですし、それに挑戦してみたいという気持ちが大きくなっていったんです。
とはいえ、それまで主役経験の浅い私にとって、与えられたチャンスに応えることは、思った以上に大変なことでした。作品ごとに超えなければいけないハードルが高くなっていって、無我夢中でそれにぶつかっていく毎日。
初舞台を踏んだ記念すべき作品『ベルサイユのばら─オスカル編─』で主役のオスカルを演じるというチャンスがやってきたのはまさにその最中で、来るべきときが来たという予感がありました。その後、男役の最後の作品『堕天使の涙/タランテラ!』の舞台を無事終えたときは、自分の中に後悔はまったく残っていませんでした。
こうしてふり返ってみると、私は本当にたくさんの幸運に恵まれてきたなという気がします。私にとって、幕があがって、降りるまでの時間は、夢のような時間。そこは、自分とは違う、さまざまな人の人生を生きられる空間なんです。だから、宝塚退団後もさまざまな人、作品と巡り会い、新鮮な日々を過ごすことができている今は、とても幸せです。
2009年に『暗くなるまで待って』でオードリー・ヘプバーンが演じた役を演じ、そして今回、『ローマの休日』で再びオードリーが演じたアン王女に扮するというのも、私にとってはわくわくする出会いです。3人芝居という面白い上演形態ですが、オリジナル映画版に負けない人間ドラマを描けるんじゃないかと期待しています。
取材・文/ボブ内藤 撮影/石井和広(TFK)











