【注目インタビュー 私のターニングポイント Vol.83】三宅 裕司『誰が観ても楽しめる芝居を作りたかった』(掲載開始日:2009年10月15日)

三宅 裕司(みやけ・ゆうじ)
1951年5月3日生まれ。東京都出身。79年、劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)を自ら旗揚げして、以後30年間座長をつとめる。劇団活動のほか、ニッポン放送『ヤングパラダイス』や数々の人気テレビ番組に出演。2004年以降は、伊東四朗一座などで軽演劇作りに取り組んでいる。また、2007年に17人編成のビッグバンド「三宅裕司&Light Joke Jazz Orchestra」を結成し、定期的にライブも行っている。

劇団の座長になったのはほんのはずみなんです (三宅 裕司)

大学を卒業して、喜劇役者になろうと思ったのが、僕にとって最大のターニングポイントでしょうね。

母が日本舞踊の先生だったこともあって、小さいころから日本舞踊はもちろん、長唄から小唄、三味線を習わされていたし、中学からはバンドに加えて落研で落語をやっていたくらいですから、まぁ、当然の選択だったと言えるでしょう。

ただ、すんなり役者になれたかというとそうではなくて、いろいろ紆余曲折がありました。最初に所属した日本テレビタレント学院は、肌が合わずに半年で辞めてしまったし、その後、加わった東京新喜劇という劇団は、人を集めただけで1度も公演せずにつぶれてしまったんです。その後、アルバイト生活をしばらく続けて、大江戸新喜劇という劇団の旗揚げに参加することになるんだけど、ここでも上の人たちとの意見が合わなくなって飛び出しちゃった。

ただしこのときは、一緒に飛び出してきた仲間がいました。そいつらと作ったのが、劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)なんです。旗揚げ時のメンバーは15人でした。

座長になったのは、ほんのはずみで、最初は役者一本でやっていくつもりだったんですよ。だけど、2本目の公演を終えたときの話し合いで、僕が座長になることになっちゃった。

劇団のコンセプトは、「ミュージカル・アクション・コメディ」。誰が観ても面白い芝居を作りたかった。高尚で、芸術的で、一部の人にしか理解できないような演劇とは正反対。だから、アングラ演劇がまだ健在だった当時としては、逆に珍しい存在だったんじゃないですかね。

この30年間、いつも順風満帆だったわけではありません (三宅 裕司)

そして、気づけば今年で創立30周年を迎えるわけだから、面白いものですね。最初のコンセプトは、ずっと変えずにここまできました。本当にそれに関しては、少しのブレもないんです。来てくれたお客さん1人ひとりを楽しませることをずっと考えてきた。

かといって、いつも順風満帆だったかというと、そうではありませんでした。

「劇団員全員に給料を払える、プロの劇団にするんだ」なんて宣言してからは、毎日が必死でした。劇団員というのは、アルバイトをしないと食っていけないわけですが、その時間もレッスンをすれば、もっとうまくなれる。それがもどかしくて、ずっと給料制にすることを夢見ていました。

ただ、タイミングよくニッポン放送の『ヤングパラダイス』に起用されることになり、それがきっかけで僕がマスコミの仕事で稼いできて、それを劇団に還元するというモデルが出来上がっていきました。最初に払った給料は、3万円程度でしたけど、みんな喜んでくれましたよ。

でもね、ラジオやテレビなどのマスコミの仕事というのは、劇団活動の片手間でやれるような甘いものじゃないんです。ちょっとでも手を抜けば聴取率や視聴率に跳ね返ってくるから全力投球で臨みます。当然それが、劇団活動にも影響を及ぼしてくるわけで、マスコミの仕事を終えてボロボロになって稽古場に行っても、何をどう演出すればいいか、まったくアイデアが湧かないなんてこともありました。

そんなとき、僕を助けてくれたのが創立メンバーたち。忙しい僕をサポートし、劇団員の結束を固めていてくれたんです。彼らの助けがなかったら、たぶんあそこでつぶれていたでしょうね。

実は劇団では、脇役に徹しようと思ったこともあるんです (三宅 裕司)

その後、バブルがはじけてスポンサーがつかなくなり、給料を払えなくなったり、山あり谷ありの劇団活動でした。

それでも、岸谷(五朗)寺脇(康文)ら若手が育って、お客さんがたくさん集まるようになったころは、劇団のピークだったと言えるでしょう。実はそのころ、舞台上で一番前に立つのは彼らに任せて、僕は一歩下がったポジションにまわろうかと考えていたこともあるんです。

ところが、そのふたりが劇団を辞めたいと言ってきた。

困りましたね。何度か話し合いをして説得もしたけれど、僕だって自分のやりたいことをやろうと思って大江戸新喜劇を飛び出した経験がありますからね、彼らの気持ちは痛いほどよくわかりました。

それと同時に、後ろに引っ込むなんてとんでもないことだぞと、彼らに教えてもらったような気がしますねぇ。

こうしてふり返ってみるといろんなことがありましたけど、よくもまぁ、30年間も続いたもんだと我ながら感心します。今、なぜこれだけ長く続けてこれたのか、あらためてその理由を考えてみると、やはりお客さんを楽しませるということだけを考えてきたってことが大きいでしょう。お客さんの笑いや驚きの声というのは、すぐに結果として返ってくるでしょ。それが大きな励みになるんだけど、それを得るには日ごろの努力が欠かせません。とにかく、目の前の舞台を無事に終えるのに一生懸命で、充実した毎日でした。

ですので、今回の『ステルスボーイ』も、現在劇団員全員、必死に稽古してます。特に、2年前から準備してきた17人編成のビッグバンド「三宅裕司&Light Joke Jazz Orchestra」がSETと初の共演を果たすというのは見ものです。僕は座長であると同時にバンマスでもありますから、とにかく大忙しの舞台になりそうです。30年間SETを支え続けてくれた皆さんに感謝の気持ちを込めて、誰もが楽しめる本当に面白い作品にしますので、お楽しみに!

三宅 裕司さんへQ&A

Q:最近、面白かった本は?
A:伊坂幸太郎さんの『ゴールデン・スランバー』。最後はつい涙を誘われました。最近では珍しいことですね。
Q:最近、ハマってることは?
A:ビッグバンド。バンマス兼ドラマーなんですが、これが難しくてね。ただ、思った通りに決まったときは、気持ちいいんです。
Q:もし俳優になっていなかったら?
A:強いていえば、教師でしょうか。今でも44人の劇団員に囲まれてワイワイやってますから、同じようなものですけどね。

これから演劇を楽しもうと思っている人へ

演劇って、最初の出会いって大事だと思うんです。そこで「つまらなかったなぁ」なんてことになると、足が遠のいてしまう。その点、SETはオススメですよ(笑)。ちなみに僕が最初に観た舞台というのは、ずいぶん小さいころだったから忘れてしまったけど、たぶん叔母が所属していたSKD(松竹歌劇団)の舞台だったと思います。その後、すんなり演劇の世界に親近感を持っていることを思うと、幸せな出会いだったんでしょうね。

これから演劇をしようと思っている人へ

人にはいろんな可能性があると思うんだけど、少なくとも何が自分に向いているのか、ある程度知った上で一歩を踏み出したほうが僕はいいと思います。そのためには、いろんなジャンルのお芝居を観て、ピンとくるものを探すこと。一時期SETにも公演を観ずに、テレビに出ている僕とか小倉(久寛)のことしか知らずにオーディションにくる人が多くて困ったことがありましたから。

三宅 裕司さんの次回公演情報

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創立30周年記念・第47回本公演
ミュージカル・アクション・コメディー
「ステルスボーイ」

今年11月に劇団創立30周年を迎える劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)。笑い、ダンス、歌、アクション、アクロバット、タップ、楽器などの要素を取り入れ、誰もが楽しめるサービス精神旺盛な舞台を志向し続けてきたSETの集大成とも言えるのが、『ステルスボーイ』だ。一昨年の『昭和クエスト』、昨年の『任侠るねっさんす』に続く「教育再生三部作」の最終章として、人間の脳と心の戦いを通して、現代人たちに本当に必要なものは何かを訴える。三宅裕司率いる17人編成のビッグバンド「三宅裕司&Light Joke Jazz Orchestra」との共演も大きな見もの。総出演者数が60名を超える大スケールな舞台になりそうだ。決して見逃すな!

2009年10月17日(土)~11月1日(日)
東京芸術劇場 中ホール
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取材・文/ボブ内藤 撮影/石井和広(TFK)

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