演劇をやりはじめたのは高校時代なんですけど、私が入学した広島の高校は、それほど演劇が盛んな学校ではありませんでした。正式な部員は、ほんの数人で、公演がある時には校門のところで待ち構えて、その時々の脚本に合った人材をスカウトしてましたね。
寺山修司さんが大好きで、モロに影響を受けつつ、ナンセンス物もすでに好きだったので、アングラとかナンセンスを強引に融合させたような訳のわからない台本を書いたりしてました(笑)。
高校卒業後は、親戚とか友達を頼って東京に遊びに行って、とにかくいろんなお芝居を見ましたね。
アングラ演劇と同様、サブカルとナンセンス色の強いナイロン100℃も大好きで、第4回公演の『NEXT MYSTERY』を観にいったんです。
筋書きが観客の拍手で変わっちゃうような不思議なお芝居でとても面白く、劇場で渡されたチラシで「オーディションをやる」ということを知りまして、受けてみようと思ったんですね。
オーディションでどんなことをやったかというと、運転手とお客の短いタクシーコントの台本を渡されて演じてみたり、受験者何人かとフリートークをしたり、自己ピーアールをしたり。私は、自分がお芝居が好きだということをやたらめったらアピールしまくって、なぜか、当時ハマっていたゲームのキャラクターのモノマネをしたりとか...。今思うと、本当によく受かったな、と(笑)。
このオーディションで合格した同期が、大倉孝二と村岡希美、廣川三憲なんです。ちょうどナイロン100℃が若い人材を積極的に取り入れていこうとしていた時期で、次の第5回公演から役をいただいて舞台に立つことができたのは、とてもラッキーでした。
そのまた次の若手公演でもケラさん(ケラリーノ・サンドロヴィッチ)が、わざわざ私たちのために当て書きで台本を書いてくれたりもして、ホント、チャンスには恵まれていましたね。
同期で入った人たちは、ナイロンやケラさんのことをあまり知らなかったり、廣川さんのように「年齢制限のない劇団がここしかなかった」みたいな人も多かったので、当時19歳の最年少だった私は入団する前からナイロン100℃のファンだっただけに、「私だけがわかっててここに来ているんだわ」という浅い選民意識がよりどころでした。
大学や専門学校に進学するわけでもなく、親を説得してお芝居をやるためだけで上京しているわけですから、それだけ純粋だったとも言えると思います。
そんな風にナイロンに育ててもらいつつ、2000年に劇団☆新感線のいのうえひでのりさんの『阿修羅城の瞳』に外部出演したんですが、これは私にとって大きな転機でした。
特にいのうえさんの演出は、まず「セリフ」を第一に考えるケラさんの演出と正反対で、立ち位置や登場のタイミングといった「かたち」が先にあって、「セリフ」はあとから自由につくっていくんです。
とにかく、今までとは真逆の体験をすることによって、目を開かれたと同時に、ナイロン100℃での活動にも新鮮な気持ちで取り組めるようになったんです。
2000年を期に、外でお芝居をすることの大変さ、面白さを知って、その翌年、ナイロン100℃第21回公演の『すべての犬は天国へ行く』に出演して、リトル・チビという黒人少年の役をいただくんですが、このときはすごく充実感がありました。
ケラさんから直接ほめられることってあまりないんですが、この作品がビデオ化されたとき、オフコメントで「新谷は外で武者修行しただけに、ツッコミとかできるようになっててよかった」と言っていて、それを聞いたときは「やった!」と思いましたよ。
こうしてふり返ってみると、私は本当にチャンスに恵まれているなと思いますね。もちろん、ナイロン100℃は劇団内オーディションが厳しい劇団なので、「あのときこうしていれば、もっといい役がもらえたのかも...」と思うようなこともたくさんあるんですけど、それも含めて経験ですし。
そう考えてみると、すべての公演、すべての体験がチャンスなんだなと思いますね。
第34回公演の『世田谷カフカ』も、そんな気持ちで稽古に臨んでいます。今回は、台本を出発点でお芝居を作っていく今までのやり方とは違って、カフカの小説を題材にしたエチュード(即興劇)をやりながらつくっていくという意味で、すごく新鮮。ほかのメンバーもみな、どれだけ稽古が好きなんだ!というくらい、演劇をはじめたばかりの高校生のように熱心に臨んでいるので、私も負けてはいられません。
カフカがモチーフではありますが、フタを開けてみたらすごくナイロン100℃らしい公演になるんじゃないかと、私自身が楽しみです。
取材・文/ボブ内藤 撮影/松谷祐増(TFK)











