長崎の田舎から進学したのは、東京外国語大学のロシア語学科で、せっかく東京に来たんだから、何か都会的なことをやろうということで思いついたのが、演劇でした。
学校の演劇サークルに入ったんですが、ある日、英米科の2年生で演出家志望の先輩に「自主公演をやろう」と声をかけられたんです。フェルナンド・アラバールの『祈り』という男女ふたり芝居で、共演者は、のちにニュースキャスターになる田丸美寿々。で、これは後になって明らかになるんですが、どうやらその先輩、田丸に惚れていたらしく、彼女とお近づきになるためにその公演を企画したようなんです。つまり、僕の初舞台は、赤の他人の色恋沙汰のダシにされる形ではじまるわけです。
しかも、結果はさんざん。学内に僕が入った演劇サークルとは別に、演劇集団「賊」という人たちがいまして、彼らは「一切のメロドラマを破壊せよ」のスローガンのもと、竹槍を持って他の公演を妨害するという過激な演劇活動をしていたんです。それで、われわれの自主公演も彼らの餌食になりまして、気がついたら舞台はシンナーを吸った新聞紙が炎上して大騒ぎになっていました。
そんな感じでしたから、最初からすんなり演劇の世界にハマったわけではありませんでした。
ただ、ちょうどそのころ、「アンダーグラウンド自由劇場」が、「オンシアター自由劇場」に名を変えて活動をはじめたころで、僕はその研究生の1期生になるんです。1年後には、まだ大学には在学していましたが劇団員になって、なんとなく都会人になったつもりになっていました。
ただ、自由劇場にはそれほど長く在籍していたわけではないんです。どこかなじめないものを感じて、1年そこらで退団。その後、大学も中退して、プータロー生活をしていたんです。
そんなある日、僕と同じように自由劇場を出た柄本(明)らに、「劇団を作るんだけど、演出をするやつがいないからやらないか」と誘われて、また演劇の世界に戻ることになりました。
それが東京乾電池なんですが、どういうわけか、僕は役者ではなく、構成・演出として彼らに呼ばれたんです。というのも、あのころの東京乾電池は台本がなく、稽古場で即興で芝居をつくっていましたから、誰かひとり、それを見て記録したりするまとめ役が必要だったんですね。そうかと思えば、劇団が『笑ってる場合ですよ』というテレビ番組にレギュラー出演するようになったときは、放送作家と劇団の間をとりもつパイプ役として、フジテレビの番組会議に出席していたりして、役者として舞台に立つ機会はますます遠ざかっていきました。
さすがに、30歳を過ぎてしばらくたったころには不安になっていましたよね。こんなことやってていいのかなぁって。だって、僕がそれまでやっていたのは、人の芝居を見て笑ってあげたりすることくらいで、何のスキルも磨けてないわけですから。
劇団もちょうど、人気絶頂の中で漠然とした不安を抱えていたころで、「台本を書いて芝居をしよう」と柄本から誘われたときは、迷いを感じませんでした。とにかく、これ1本で終わってもいいから、自分が面白いと思うことをやりきろうと思って台本を書いたんです。それが、僕が初めて書いた戯曲『お茶と説教』でした。
『お茶と説教』を書いたのが34歳のときで、それがある一定の評価を得て2作目につながり、4作目に書いた『蒲団と達磨』で岸田戯曲賞を受賞したときは、36歳になっていました。
そこから先は、竹中直人との出会いもあって、東京乾電池を退団してからも竹中直人の会の作・演出をつとめるようになるんですが、それまで何者でもなかった僕も、さすがに劇作家として人に見られるようになっていました。
1989年に『バカヤロー!2~幸せになりたい』で映画監督をしたのは、賞をいただいた直後のことで、最初はぜんぜん乗り気ではなかったんですが、終わってみたらえらく楽しいことに気づきましてね。カットごとに、いろいろな場所に移動して撮影するという開放感はもちろんのこと、カメラの前で演技をする役者に「オッケー」と指示する作業は、稽古場や劇場で千秋楽の日まで「ダメ出し」する芝居作りとは正反対で。映画作りというのは、山の頂を見る作業で、逆に芝居作りは谷底を見る作業なんですね。でも、映画作りがこれだけ楽しいと言えるのは、僕の中で出稼ぎで参加しているって気持ちがあるからなのかもしれません。
役者として人の芝居に出るというのも、実は数少ない体験で、2000年の『グレープフルーツちょうだい』(作・演出/宮藤官九郎)と、2006年の『アジアの女』(作・演出/長塚圭史)から数えて、今回の『中国の不思議な役人』が3本目になります。
人の芝居を真剣に見る必要がないって気楽さがある一方で、演劇というものを外側から見る貴重な体験になるに違いないでしょう。特に寺山修司さんの『中国の不思議な役人』は、今まで僕が手がけてきた作品の対局にあるような作品で、いい意味で自分を壊してくれるんじゃないかと楽しみなんです。
取材・文/ボブ内藤 撮影/松谷祐増(TFK)











