- 新妻 聖子(にいづま・せいこ)
- 1980年10月8日生まれ。愛知県出身。上智大学在学中に『王様のブランチ』(TBS系)で芸能活動を開始。2003年、東宝ミュージカル『レ・ミゼラブル』のエポニーヌ役で舞台デビュー。以後、『ミス・サイゴン』、『21C:マドモアゼル モーツァルト』、『マリー・アントワネット』などで数々の賞を受賞、ミュージカル女優としての地歩を固める。2006年8月には三人芝居『骨歌』でも見事な演技を見せた。
Winkや光GENJIに憧れ、とにかく歌うことが好きだった私にとって、幼少からの夢は、「歌手になること」でした。初めて買ったシングルCDは、プリンセス・プリンセスの『Diamonds <ダイアモンド>』でしたけど(笑)。
11歳からは父の仕事の都合でタイで過ごすことに、高校ではコーラス部に所属していました。歌を専門的に習ったことはありませんでしたが、音楽はつねに身近にありましたね。
帰国したのは7年後のことで、大学生になって生活が落ち着いたこともあって、歌手になるための第一歩を踏み出すべく、いろんなオーディションを受けるようになったんです。ところが、最終選考に残ることはあっても、なかなかうまくはいかず、遠い夢で終わってしまうのかなと思っていました。
そんな矢先、あるライブハウスで歌をうたっていたところ、芸能事務所の方に声をかけていただいて、軽い気持ちで事務所に所属することになったんです。それがきっかけで受けたのが、『王様のブランチ』のオーディション。当時、私は大学3年生でしたから就職活動もちゃんとしていたんですが、オーディションに受かった時点で「社会勉強のつもりで頑張ってみよう」と、まずはブランチレポーターとしてこの業界に飛び込む決心を固めたわけです。
ところが、大学の卒業が迫って、いよいよ進路を考えなければと思い始めたころ、ミュージカル『レ・ミゼラブル』のオーディションの話が舞い込みます。そして5000倍という倍率の中、過去に島田歌穂さんや本田美奈子さんが演じてこられたエポニーヌという大きな役で、合格してしまったんです。
愛知県で生まれて、タイで少女時代を過ごした私にとって、ミュージカルは縁遠い世界でした。実際、『レ・ミゼラブル』のオーディションを受けるまで、ミュージカルを観たことさえなかったんです。
ところが、私をミュージカルに結び付ける、不思議な縁があったんです。それは大学2年生のとき、帰国子女が受ける英語のクラスでのことでした。最初に「I Love Singing」と自己紹介した私は、周囲に求められるまま、知っていたオペラの楽曲の一節を歌ったんです。その後のいきさつは私自身、後で知ることになるんですが、そのクラスにいた先輩のひとりがその後、『レ・ミゼラブル』の制作にたずさわっていた方と知り合いになったそうなんです。「エポニーヌに適役が見つからなくて」という話を聞いて先輩は、「新妻という珍しい名前で、とてもきれいな声を持った子がいたんですよ」と話したところ、それがブランチレポーターの私だということがネット検索で判明し、事務所に「オーディションを受けてみませんか」と声をかけることにつながったというんです。
歌手になりたいと思い続けていながら、こうした偶然が重なってミュージカルという舞台に立てたことは、大きな幸運でした。
怖いもの知らずで臨んだ初舞台は、無我夢中で終えたというのが正直な実感でしたが、翌年、大作ミュージカル『ミス・サイゴン』のヒロイン・キム役に抜擢していただいたことがきっかけで、初めて明確に「こう演じたい」という表現者としての欲求が生まれました。自分の足りないものが冷静に把握できるようになったし、それを補おうと必死になって練習を重ねました。
そして、いつしか私は、ミュージカルの魅力に取りつかれていたんです。
チャンスというのはいつ巡ってくるかわからないものだけど、私の場合、最初につかんだチャンスが帝国劇場という大舞台で、目の前の課題に必死になってぶつかっていく毎日の中で今の自分が作られてきたように思います。
それはとても幸運なことだったし、表現者としての私は舞台に生まれて、舞台に育てられてきたんだなということを実感させられます。舞台という空間で歌い、演じ、役を生きる時間は、私にとって本当に特別であり、同時にとても自然な事なんです。
これまで『ミス・サイゴン』は2度やらせていただいて、キムという役を計11ヶ月間、演じたことになります。『マリー・アントワネット』では、マルグリッド・アルノー役を7カ月、演じましたが、その間、新妻聖子個人の人生はある部分で空白になるというか、役のために生きているような感じ。実際、役を演じている間、私の実生活で何が起こったか、思い出そうと思っても思い出せないんですよ。『マリー・アントワネット』に出演していた期間は、喉を休ませるため、公演中は一度も電話に出ないでメール対応に限定していたくらい。
新しい役を得るたび、新たな発見があり、成長を実感することができる。2006年の夏に『骨唄』という作品に出会ったときも、うれしい発見がたくさんありました。私にとっては、ミュージカルではないストレート・プレイの2作目にあたる作品だったんですが、演技をするということに真剣に向き合ったことで、演劇そのものが好きになりました。今、改めて初演の記録映像で自分の演技を観てみると、なーんて下手くそなんだと落ち込みますが(笑)、そう感じることも私が成長している証拠なんだなって思えます。
ふり返ってみると、「歌手になりたい」という夢からだいぶ遠回りしてきたように思えるけど、この道は決して間違っていなかった。むしろ、歌い手として、表現者として、私が目指すべき場所への一番の近道だったんだと、今では自信を持ってそう言えます。
取材・文/ボブ内藤 撮影/松谷祐増(TFK)











