小学校の卒業文集に「将来の夢はミュージカルスター」と書いたくらいで、おそらく根はそうとう深いと思うんですけど、人前で何かを表現したいという思いは幼いころからありまして。
高校も地元の北海道では演劇で有名な女子校に進学して、高校演劇をはじめたのが最初の第一歩。それが超スパルタな演劇部で、劇団員全員で一頭の象を演じるといった不思議な芝居を作っていました。なのに、「世界のニナガワ」を知らぬまま蜷川幸雄さんが学長をつとめる桐朋学園大学短期大学部に入学するんですね。大学の図書館には演劇のビデオがたくさんありまして、そこで劇団唐組の『ジャガーの眼』と『電子城II』を見たときのことが私の人生を決定づけました。『電子城II』の1幕のラスト、大久保鷹さん扮する出前持ちが、岡持ちの中に入っていたラーメンを口からバーッと吐き出しながらセリフを叫ぶんです。泣けました。それまで小劇場ブームと呼ばれる演劇しか観ていなかった私にとって、その直接的な熱量は衝撃でした。この人達は一体なんなのだろう!と。
唐組のオーディションを受けたのは、その直後でした。本当に、飛び込み人生まっしぐらという感じですね。
オーディションに受かったのは30人。たくさん同期がいて楽しいな、なんて思っていたら、1カ月後には10人になっていました。
どうやら劇団のほうでもそれを見込んで多めに採用しているようなんですね。とにかく24時間すべてを公演のために費さなくてはならず、バイトなんかできるわけない。熱量の多い芝居を作るには、やはり自身に圧倒的な熱量が無ければならないんです。私は、がむしゃらについて行くだけで精一杯でした。すべてにおいて舞台最優先の理不尽さに耐えられなくて、同期はどんどん減っていきました。
でも、高校時代から演劇の世界にどっぷり浸っていた私には、その理不尽さがとても楽しかった。舞台作りに没頭できる事を幸せに思っていました。
ある公演で、私は幕切れの場面でヒロインに照明をあてていたのですが、それが本当にうれしくて。舞台上で照明を浴びるよりも、こちらの方が喜びが大きいことに気付いたんです。唐十郎という天才を目の当たりにして、彼のようには決してなれないと自覚したのですが、どうしても自分の舞台を作りたくなりました。
その後に唐組を辞めて、知人の紹介で知り合った劇作家、内田幸四郎氏と年に1度、交互に脚本を書いて作品を作り始めました。彼が書く時は私が出演して。それが、劇団黒色綺譚です。
その後、黒色綺譚を続けるのではなく、改めて黒色綺譚カナリア派を旗揚げしたのは、演劇を趣味として行うのではなく、プロを目指したいと思ったから。
ただ、もともと私はトップに立つような性格ではなく、人見知りも激しい口下手な性格なので、世界観を提示するには自分で動くしかないと、裏方全般に挑戦していました。衣装を縫ったり、美術もやったり。「演劇界の塚本晋也を目指す」と言ってたんですが、最近、無理だと気付きました。最初から気付けっていう話ですが(笑)。生の舞台と映画とは違いますものね。
とはいえ、公演作りのすべてに関わる事ができたことは、とてもいい経験でした。だから、私にとって劇作は、もう恥ずかしいくらいに「自分」なんですね。私の書くものは、人生の「懺悔」のようなもので、その酷さを観て扇動されてほしいなと欲張っています。
4回目の公演でザムザ阿佐谷と提携させていただいたり、第8回公演で青山円形劇場に進出したりと、トントン拍子に行ったように見えるかもしれませんが、「カナリア飛べねど飛んだフリ」、「ボロは着てても心は錦」でやってきました。
だから、こうして第10回公演の『義弟の井戸』にたどりつけたことは、とてもうれしく感じます。奇をてらわず、直球勝負で臨みますので、ぜひ期待してください。
(佐世保バーガー高円寺店にて)
取材・文/ボブ内藤(方南ぐみ) 撮影/石井和広(TFK)











