- 松重 豊(まつしげ・ゆたか)
- 1963年1月19日、福岡県生まれ。東京サンシャインボーイズ、蜷川スタジオを経て、さまざまな作品で活躍。映画『地獄の警備員』、『刑務所の中』、『血と骨』、『しゃべれどもしゃべれども』(毎日映画コンクール男優助演賞受賞)をはじめ、テレビでも、『ブラッディ・マンディ』(TBS)、『ありふれた奇跡』(フジテレビ)などで活躍。2009年初夏には映画『ディアドクター』が公開される。
福岡の田舎者にとって演劇というのは縁遠い世界で、大学で演劇科を専攻したのは、当時、自主映画を撮ったりしていた関係で、演劇くらいやっとけば役に立つだろうくらいの認識でした。
ところが、まわりの人間に「とにかく見るだけは見ておけ」と言われて見せられたのが、状況劇場とか天井桟敷、それから初期の夢の遊眠社だとか、つかこうへいさんの『蒲田行進曲』といった公演で。それで、「青春のはけ口としては、これしかない」と勘違いをして、その年の暮れにはもう舞台に立っていました。
それからは、学内でも演劇をやってましたし、日芸(日大芸術学部)の人たちとのつながりがあって、三谷幸喜さんの初期の東京サンシャインボーイズの公演にもたずさわったりして、演劇どっぷりの生活をおくっていました。
梶原善とは、地元の仲間と映画を撮っていたころからの知り合いで、結局完成には至らなかったんですけど、僕が監督をして、甲本ヒロトを主演に映画を撮っていたときに、ヒロトを慕ってついてきた高校生が(梶原)善だったんです。彼が服飾の専門学校に通うために上京してからもつき合いは続いていまして、「お前、芝居やったらいいんじゃない?」と提案したのはどうやら僕のようでして、彼にとってはいい迷惑だったんじゃないでしょうか。
で、大学を卒業して、蜷川スタジオに入るわけですけど......えっ? なぜ、そのまま東京サンシャインボーイズの一員にならなかったのかって? だって、あの劇団が後に、あんな風に(メジャーに)なるとは思ってなかったし、学生演劇とは別の、本格的な商業演劇を経験しなきゃいけないという気持ちだったから。それで、卒論の担当教授に相談したところ、「蜷川幸雄さんが最近、スタジオを始めたぞ。しかも、学費はゼロらしい」と聞きまして、「じゃあ、オーディション受けてきますわ」と、いうことになったんです。
ところがですよ、いざオーディションというとき、自分の順番を待っていると、蜷川さんがいきなり机をバーンと蹴りとばしたんです。なんでも、劇団員の人がプロンプ(セリフの覚え書き)を出すタイミングを間違えたらしくて、「てめぇ、バカヤロー!」と、始まっちゃったんですね。前の日、バンドのライブがあって、課題として与えられたセリフをろくに覚えてなかった僕は、もう真っ青ですよ。それで、自分の番になったときに、一行だけセリフを読んで、「僕、覚えてないんで、すみません」って、帰ってきちゃった(笑)。
いやぁ、驚きましたね。強烈な「蜷川体験」でした。でも、もっと驚いたのは数日後、合格通知が届けられたことで、あとから聞くと、「とりあえず体が大きいヤツをひとりくらい入れとくか」ということだったらしいですけど、しばらくは意味がわからなかった。
蜷川さんというと、役者に灰皿を投げつける「灰皿伝説」で有名ですけど、当事者から言わせてもらえば、灰皿どころか、身の回りにあるすべてのものを投げていましたね。同期の阿南健治は、ハンバーガーを投げつけられたといってこぼしていました。
だから、スタジオの一員になってからは、どうやったら蜷川さんに怒られないですむのか、それだけを考える毎日。それでも、その後すぐに参加した『築地本願寺のオイディプス王』では大失敗しました。芝居の最後に伝令といって、オイディプス王に王妃が死んだことを伝える役があるんですけど、それがスタジオの若手にまわってくるらしいという話があったんです。実際、稽古を見にいくと、先輩たちがその場で「お前、やれ!」と指示されて立派にこなしているのを見てすごいなと思っていたんですよ。で、「松重、お前やれ!」と言われたときは固まりましたよ。次の瞬間には、「お前はオーディションのときもセリフ入ってなかっただろ、いい加減にしろこのヤロー!」と怒鳴られてました。
あるとき蜷川さんは、スタジオのみんなの前で、こんなことを言ったんです。「ここは劇団じゃない。オレは狼を3年かけて野に放つ作業をするんだ」。いいこと言うなぁと思って、その言葉がずっと頭の中にあったせいでしょうか、3年半が過ぎたころになって、その言葉通りにスタジオを去ることを決意しました。
今振り返ってみても、あの3年半で経験したことは、今に至る僕の俳優生活のすべてがつまっていて、何か迷ったときに何をすべきかという答えが、このときの経験の中に入っていたりするんですけど、そのときの僕は、完全に演劇という世界から離れたつもりでした。人生のうち、1回だけ押せるリセットボタンを押したようなもので、実際、その後の1年半は建設会社の社員になって、このまま職人として生きていくのかなと思っていました。
それでも、ちょうど結婚をして、そのための資金も貯めていたので1カ月は休んでもいいかなぁなんてと思っていた矢先、蜷川スタジオで知り合った親友の勝村政信から「松、もう一度、芝居をやらないか」と誘われて、また演劇の世界に戻っていくわけですから人生、何が起こるかわからないですね。
こうして振り返ってみると、僕はいろんな出会いの中で、人の縁に身をまかせてきただけのような気がしますがその一方で、「この人といつか一緒に仕事をしたいなぁ」と思いがあれば、いつか必ずその人との出会いは実現するという気持ちもあるんです。今回の『昔の女』の演出の倉持裕さんの場合、1年前にテレビの仕事でお会いしたときに「今度ご一緒しましょうよ」なんてあいさつした直後にお声をかけていただいた、これも大事なご縁なんです。
お客さんの前で舞台の上に立つというのは、今でも身が引き締まる経験ですが、びくびくする気持ちとわくわくする気持ち、そのふたつが俳優にとって、この上のない快感なんですよね。
- シリーズ・同時代【海外編】Vol.1
「昔の女」
Die Frau von frÜher シリーズ・同時代【海外編】は、欧米の現代戯曲の中から優れた作品を厳選し、日本の最新鋭の演出家によって紹介する意欲的な企画。その第一弾として上演されるのは、劇団ペンギンプルペイルパイルズを主宰する倉持裕演出の『昔の女』。現在ドイツ演劇界を牽引する人気劇作家ローラント・シンメルプフェニヒの戯曲を表現するのは、松重豊、七瀬なつみ、西田尚美といったわくわくする顔ぶれ。「ミステリーとも、サイコサスペンスとも、コメディともつかない、予測不能の舞台になるはずです」との松重の予言を体験しろ!
2009年3月12日(木)~3月22日(日) 新国立劇場 小劇場
取材・文/ボブ内藤(方南ぐみ) 撮影/石井和広(TFK)











