- 六角 精児(ろっかく・せいじ)
- 1962年6月24日兵庫県生まれ、神奈川県育ち。善人会議(現・扉座)創立メンバーとして主な劇団公演に参加。その後、ケラリーノ・サンドロヴィッチや生瀬勝久など優れた演出家のもとで外部公演にも参加するほか、テレビ、映画などにも幅広く活動している。2009年春には、主演映画『相棒シリーズ 鑑識・米沢守の事件簿』が全国東映系にて公開予定。
演劇にそれほど興味をもっていたわけでもない僕がこの世界に入った理由ですか?
それはもう、「流されるまま」としか言えないです。高校に入学して、たまたま所属した部活が演劇部で、そこで出会った先輩の横内謙介という人が卒業後に、「劇団を作るので参加しないか」と、たまたま僕を誘ってくれ、それがそのまま今の僕に至っているわけです。とにかく、自分から何かを決断したという記憶がない。
そう考えてみると、横内に出会ったことが僕の人生の最大の転機だったといえるでしょう。全国高等学校演劇フェスティバルという大会があるんですが、彼が作・演出をした『山椒魚だぞ!』が関東代表として全国大会に出場するほどでしたから、演劇人としての才能はそのころからあったんですね。ちなみにこの作品は、優秀賞と脚本賞を受賞するものの、規定時間を4分オーバーしたことで最優秀賞を逃すんです。甲子園の野球児のように悔し涙を流す部員の中で、何がそんなに悔しいのか理解できず、仕方なくそれにつき合って嘘泣きしてたのが僕だったりするんですけどね(笑)。
それでも、高校を卒業して受験浪人をしているころは、それもいい思い出かなと思っていたんです。ところがそんなある日、地元のパチンコ屋でバッタリ、横内と出会いまして、先ほど申したように「劇団作り」というものに参加することになっていました。先輩の言うことだから、なかなか断りづらかったのと、「浪人生だから、勉強と両立する程度でいいから」という言葉につられて気軽に話を受けてしまったんですね。
こうしてできた劇団が「扉座」の前身である「善人会議」につながっていくんですが、最初のころはセリフもないような役だったものの、やがて主演級の役をあてがわれるようになっていきました。
横内という人は責任感のある人でしたから、僕を劇団活動に引きずり込んだ手前、キャラを生かしてあげようと努力してくれていたんでしょう。僕に対してだけでなく、すべての劇団員に対してそういう愛情を注いでいたのが彼という人でした。
ただそれは今にしてわかることで、当時の僕は依然としてそれを理解しようとせず、平気で稽古をサボったりしていました。ある日、パチンコ屋でサボっているところを愛車ブルーバードに乗った横内に探し出され、本気で怒られたのも今ではいい思い出です。
その後、劇団は「小劇団の登竜門」といわれる紀伊國屋ホールで公演するようになり、また、横内の才能が外でも認められて劇作家として活躍するようになり、さらには劇団員の岡森諦も『超高層ハンティング』という映画の主演という大きなチャンスをもらえるようになり、その活動が順調に花開いていくんですが、僕はあいかわらず「流されるまま」でした
それでも、大学を中退して世間的にフリーターという身分になってからは、少しは頑張らなきゃと思ったのか、ラジオの仕事で知り合った仲間と『ふなのきもち』というプロデュース公演を企画したりもしました。出演者やスタッフを集めるところから予算の管理まで、芝居作りのすべてに携わったのはこのときが初めてだったんですが、勉強になったどころか、そのあまりの大変さに「こんなことはもう二度とやるもんか」と思いながらしばらく寝込むほどのトラウマになってしまったのは残念ですが(笑)。
流されるままに役者をやり続けてきた僕にとって、劇団という場所は本当に恵まれた環境だったと思います。劇団員であるというだけで、僕のキャラを生かしてくれる座長が脚本を書いてくれ、舞台を踏むという貴重な経験を積ませてくれるわけですからね。
ただ反面、その環境に甘えていた僕のような人間は、劇団の外に出るような場でひどい苦労をするんです。
28歳くらいのころ、ある著名な演出家の方の公演に出たんですが、このときは本当に大変でした。和服を着る芝居だったせいもあり、着付けや所作のひとつひとつにダメ出しを受けたんですが、それが稽古から本番に至る2ヶ月もの間、毎日続いたんです。このときは本当に落ち込みましたね。
ただ、不思議なことに、「もう役者なんか辞めちゃおうか」という気持ちより、「ちゃんと役者をやらなきゃダメだ」という気持ちのほうが強かったんですね。試練が逆に、僕を強くしてくれたんです。
劇団が「善人会議」から「扉座」に名前を変えたときも同じで、10周年を過ぎてマンネリ化した状態を打ち破り、それを乗り越えたことが今の活動につながっているんだと思います。実際、最近の僕はたまにしか劇団の活動に参加せず、気が向いたときにフラッとやってきて好きなことを言って去っていくだけなんですが、そんな僕を「寅さんのような人だ」と、温かく見守ってくれるのは本当にありがたいことですよ(笑)。
『その夜明け、嘘。』のような大きな舞台に呼んでいただくことは僕にとって、大きなプレッシャーに違いないんですが、その状況を半分楽しめている自分がいるのは、劇団のおかげでいろんな経験を積んでこれたからなんでしょう。感謝しなきゃいけないなと思いますね。
取材・文/ボブ内藤(方南ぐみ) 撮影/庄司直人(TFK)











