- 阿南 健治(あなん・けんじ)
- 1962年2月24日、大分県竹田市で生まれ。
9歳まで兵庫県西宮市、18歳まで尼崎市で育つ。渡辺音楽学院で初舞台を踏み、渡米、大衆演劇、蜷川幸雄スタジオの劇団員といった経験を経て、劇団「東京サンシャインボーイズ」に所属。94年に劇団が休団して以降は、テレビドラマや映画、舞台と幅広く活躍している。現在、連続テレビ小説『だんだん』(NHK総合テレビ)に出演中。
ターニングポイントといって思い浮かぶのは、三谷(幸喜)氏との出会いでしょうね。やはり。
当時、僕は27歳。俳優を志して8年目のころで、行き当たりばったりでいろんな経験を積んできた中で、やっと自分の気持ちの中でしっくりくる役を続けて与えられ、その役作りに真剣に取り組むことができた、幸せな出会いでした。
僕はもともと、性格的に集団生活が苦手なたちで、劇団に所属するには不向きの人間なんです。そんな僕が、東京サンシャインボーイズに5年も在籍し、その間14本もの公演に参加したというのはとても珍しいことで、それはひとえに、そこでの日々が充実していたということだと思うんです。
ただ、三谷氏に巡り会うまでは、さっき言ったように、行き当たりばったり、すったもんだを経験してきました。
まず、18歳で上京して俳優養成所に通い、半年でそこを辞めてから行き着いたのがスクールメイツの養成所「渡辺音楽学院」。そこで上演されたアトリエ公演が僕の初舞台でした。それまで抱いていた「自分自身で何かしたい」という漠然とした夢が、20歳のその時点で初めて「芝居をしていたい」という具体的な目標に変わったんですね。
ならば、そのままその道を突き進めばよかったんだけど、僕はそこでハタと考えた。「あこがれのアメリカに渡ってカウボーイになろう」と。今となってはなぜ、そんな矛盾に満ちた発想が出てきたのか定かではないですけど、未熟なままで俳優としての修業を積むんじゃなくて、人生勉強をしてからだと思ったんでしょうか。とにかく必死でバイトをして費用を貯め、20歳の春に渡米することになったんです。
あてもなく出かけたわりには運よく国際農業研修機構という団体の一員になることができ、ウィスコンシン州の小さな牧場に派遣されて念願のカウボーイになることができました。ただ、残念なことにその牧場には馬がおらず、そこでの労働はつらいものになりました。
それでも涙をこらえて頑張っていたある日、テレビでブロードウェイで上演していた『キャッツ』のメイキング番組を見たんです。その途端、「芝居がしたい」という気持ちが戻ってきた。そうなると、いても立ってもいられなくなってしまうのが僕の性格で、牧場を無理矢理辞めて、ニューヨークへと向かうことになるんです。
とはいえ、当然のことながら、英語もそこそこにしか話せない僕がそこで通用するわけもなく、劇団のオーディションやダンススクールでは、自分の力のなさを思い知るわけです。
ただ、振り返ってみればアメリカでの経験は、貴重な経験だったと思うんです。打ちのめされながらも「オレは日本人なんだ」という意識を強く持ち、「日本人であるオレに何ができるんだ」ということを深く考えるきっかけにもなりましたからね。
そして、渡米して1年8カ月がたったある日、スクールメイツ時代の先輩から手紙が届きまして、「一緒に芝居をしないか」という誘いを受けたんです。本当は自転車でアメリカ大陸を横断しようなんて計画も立てていたんですが、「芝居をしたい」という気持ちがまたそこでフツフツとわき上がってきて、帰国することを決意しました。
先輩に誘われたその芝居というのが、なんとドサ回りの大衆演劇。カツラをかぶり、着物を着て、仁義を切ってのチャンバラ芝居。
ニューヨークのダンススクールで、レオタード姿でジャズダンスを踊っていた生活から比べれば、180度の大変化です。
大衆演劇の公演は、1カ月単位で全国各地を渡り歩き、楽屋で寝泊まりしながら芝居をしていくという生活です。最初のころは、毎日芝居ができて、温泉にもつかれるということで、無我夢中で取り組んでいました。
でも、もうすぐ2年の年月が過ぎようとするころには、集団生活の窮屈さにすっかりまいっていました。それで、業界用語でいうところのドロン。自主退団をして逃げてしまうわけです。
その後、無一文で友人宅を訪ね歩いたり、公園で寝たりする生活の中で、蜷川幸雄スタジオの劇団員募集のオーディションに行き当たって、そこに所属することになりました。
ところが、役名もセリフもない、群衆シーンのひとりを演じ続けていると、違う芝居がしたいという思いが強くなるばかりで、ここも2年くらいしか続きませんでした。
ただ、蜷川幸雄スタジオの同期に松重豊がいまして、彼は東京サンシャインボーイズの創立メンバーなんです。そんなつながりから梶原善と知り合い、三谷氏との出会いに至るんです。
ようやく話は、冒頭の「幸せな出会い」に戻ってきましたね(笑)。
不遇で実りのない日々の連続で、よく途中で役者の道をあきらめなかったと思いますけど、「やめよう」と思ったことは一度もないんです。ようするに、僕にとって芝居は、好きとか嫌いとか、辞めるとか辞めないとか、そういうレベルのものではなく、生き方みたいなものなんでしょう。食事をするとか呼吸をすることと一緒で、別に特別なことでなく、自然な自分自身なんですね。
だから、もし三谷氏と出会わなかったとしても、いまだどこかでくすぶりながらも芝居は続けているんじゃないのかなぁと思います。いや、どうかなぁ...(笑)。
取材・文/ボブ内藤(方南ぐみ) 撮影/石井和広(TFK)











