- 梶原 善(かじはら・ぜん)
- 1966年2月25日生まれ。岡山市出身。
1985年に東京サンシャインボーイズに入団。「名もない小劇団」から「チケットのとれない劇団」となるまで、重要な役割を果たすメンバーとして活躍する。94年、劇団が30年間の充電期間に突入することになるとともにテレビ、映画など幅広く活躍するように。役柄によってガラリと風貌を変えるカメレオン俳優として評価は高い。
地元の岡山県にいた10代のころは、ろくに勉強もしないでバンドに明け暮れてました。
実は、僕が通っていた高校というのがヤンキー系の同級生ばかりで、親しい友達がまったくいなかったんですよ。それで、中学時代の友達が楽器屋にあるスタジオに「面白いヤツらがいるから遊びにこいよ」と誘ってくれて、楽器も弾けないのにノコノコ出かけて行ったのがきっかけで、毎日通うようになったんです。ちょうどそれがクリスマス前のライブの準備期だったこともあって、「バンドをやろう」と。
その後、いくつかのバンドと組み合わさって、僕がメインボーカルでほか14人もサイドボーカルがいるという「Hakuchi ぼ~いず」というバンドになっていくんですけど、そこそこ話題になって、ラジオやテレビで紹介されたりするときもありましたっけ。
やってることはパンクバンドともコミックバンドともつかないようなもので、メンバー全員、小学生とかお母さんとかさまざまな格好をして、「オレはあんこが好きだぜ ヘイッ つぶつぶこしこしあんあんあん つぶつぶこしこしあんあんあん」なんて言葉をくり返し叫ぶようなバカ騒ぎやって楽しんでた感じ。チケットを売って、会場費と機材費を払って浮いたお金で喫茶店に行って、「好きなもの2品までよし」なんて、今思えばカワイイ打ち上げでしたね。未成年だから、お酒飲みながらドンチャンってわけにはいきませんから。
よく、バンドマンというと「女の子にモテたい」みたいな動機ではじめるという話を聞きますけど、僕の場合、そういう意識は不思議となかったです。ただ人前に出て変なことしたかった。若さの衝動ですかね。
だから、音楽でプロを目指す気持ちはまったくなくて、高校を卒業して上京したときは、漠然と映画俳優になりたいと思ってました。
バイト先は下北沢の『珉亭』という中華屋さんで、ここには一緒にバンドをやっていたギタリストの山川のりをや、甲本ヒロトといったバンドマンと、その弟の甲本雅裕と僕みたいな演劇青年が一緒に働いていました。若者のそういう活動に対して理解のある店で、ゴハンを食べさせてくれるだけじゃなくて、給料を日当でくれたから、ホント助かったんですよ。
そんなある日、高校時代に一緒に自主映画を作ろうなんて話で知り合った松重豊も『珉亭』で働いてまして、彼が初期に参加していた東京サンシャインボーイズの三谷(幸喜)さんを紹介してくれたんです。そしてすぐ、「次の公演に出ないか」って誘われたんですが、舞台経験もなく、訓練ひとつ受けてない僕をどうして誘ってくれたのか、いまだに不思議なんですけどね。
役者にとって、自分の魅力を引き出してくれる演出家やスタッフ、それから共演者との出会いは、すごく大きなものだと思うんですけど、今振り返ってみると、当時から事の重大さを意識していたわけではなくて、「まぁ、いつかはプロの役者になれるだろう」と漠然と考えていました。実際、チケットノルマがなくなって、ワンステージ数千円といういくばくかのギャラがもらえるようになって「やった!」なんて喜んだのは、劇団活動も、だいぶ後期になったころの話ですからね。僕が初舞台を踏んだのが85年の『くたばれサンダース 』で、その7年後の『99連隊』あたり。公演中に差し入れでビールとかシュークリームなんかもらうと、すっごくうれしかったものなぁ。
94年に劇団解散という話が出たとき、僕自身、劇団の活動にだいぶ飽きていて、映像の仕事もしてみたいという気持ちもあったし、「三谷さんはもっと他のいろんな才能と出会うべきなのにな」と思っていたこともあったので、一番に賛成だったんです。
だから解散後は、「とうぶん舞台はいいや」って思って、実際、5年間は舞台から遠ざかっていた。
おかげでその間、ポリシーをもって演劇にたずさわっている大先輩の橋爪功さんに、「お前、舞台はやらないのか」と聞かれて「やらなきゃ駄目っスかね」なんて大失言をしたりするわけですけどね(笑)。
舞台復帰の大きなきっかけになったのは、2004年に参加した劇団☆新感線の『髑髏城(どくろじょう)の七人』ですね。今では新感線に出演できることはすごくうれしいんですが、当初は抵抗があったんです。いろいろと。特に正面切ってセリフを吐く場面がいくつかあって、そういう芝居を自分の中では封印していたところがありまして。
三谷さんの元で芝居をやっていたころにはあり得ないシチュエーションですからね。
でも、演出家に言われればやらなければいけないわけで、やればやったで気持ちよかったんですよ。その後、新感線には翌年の2005年『吉原御免状』、その翌年の2006年に『Cat in the Red Boots』、そして来年3月の『蜉蝣峠(かげろうとうげ)』にも出演させてもらうことになるわけですから、人間何がどう転ぶかわからないですねぇ。
今回の本谷有希子さんの場合、何が求められているのか、今はまだよくわかりませんが(笑)、初めての演出家のもとで芝居をすることは、楽しみでもあるんです。なんたって本谷ですから。
だから、劇団からは離れても、今は毎日が新鮮ですよ。
- 「幸せ最高ありがとうマジで!」
演劇界と文学界を股にかける若き才人、本谷有希子がこの秋、パルコ劇場にて、自らの劇団以外では初となる作・演出作品を手掛ける。主演は、本谷原作の映画『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』で映画賞5冠に輝いた永作博美。共演するのは、「大人計画」の近藤公園、前田亜季、吉本菜穂子、広岡由里子、そして梶原善。本谷ワールドに、我らが梶原善はどんな演技を見せてくれるのか、乞うご期待!
東京公演 岡山公演 2008年10月21日(火)~11月9日(日) 2008年11月19日(水) PARCO劇場 倉敷市芸文館ホール 大阪公演 2008年11月21日(金)~11月22日(土) シアター・ドラマシティ [追加公演決定!] 東京公演 大阪公演 11月2日(日) 19:00開演 11月22日(土) 17:30開演
取材・文/ボブ内藤(方南ぐみ) 撮影/石井和広(TFK)










