- ケラリーノ・サンドロヴィッチ(けらりーの・さんどろゔぃっち)
- 1963年1月3日生まれ。東京都出身。82年、バンド有頂天を結成。翌年、インディーズ・レーベル「ナゴム・レコード」を立ち上げ、筋肉少女帯、ZIN-SAY(電気グルーヴの前身バンド)、たま、カーネーションなど錚々たるバンドの作品を世に送り出す。85年には犬山イヌコ、みのすけらと「劇団健康」を立ち上げ。本格的に演劇活動を開始。93年には「健康」を解散。劇団ナイロン100℃をスタートさせ、98年のナイロン100℃『フローズン・ビーチ』で第43回岸田國士戯曲賞。以降、音楽、演劇、映画など、さまざまなフィールドで活躍している。4月下旬には作・演出をつとめるナイロン100℃ 38th SESSION『百年の秘密』が控えている。
親父がジャズをやっていた関係で、まわりに森川信さんら喜劇人があふれていたこともあって、幼少のころから自然とお笑いに興味を持っていました。小学生の頃はチャップリンやキートンが大好きで、すでに笑いを生業にすることを志していました。小学校の卒業文集に"喜劇映画の監督になりたい"って書いてましたからね。演劇に取りくんだのは高校生のとき。当時、演劇部と軽音楽部と映研に入っていて、演劇部では、安部公房、別役実、清水邦夫といった小難しいお芝居をやっていました。といっても、マジメにやったのは、3年生の時だけ。1・2年は映研で8mm映画を撮ったり。学業よりも部活や映画鑑賞に熱中していて、多いときには年に300本も映画を観ていました。思えばいま自分のなかにあるものは、そうして二十歳になる前に自分の中に出揃っていたんですね。その後は、バンド有頂天で活動したり、ナゴムレコードというレーベルを創ったりして、演劇からは離れていました。それが22歳の時、劇団健康を立ち上げるんです。きっかけは、現在もナイロンの劇団員、犬山イヌコの一言。当時、有頂天のメイクをやってくれていた一方で、演劇の養成所に通っていた犬山とはよく舞台をいっしょに観に行っていたんですが、ある時電車の中で「劇団旗揚げしないか?」って彼女に言われたんです。もともとやりたかったことのひとつだし、なにより犬山にはすごく世話になっていたので、提案に乗ることでちょっとした恩返しができれば...という想いもあったんですよね。まぁ、どうせ2、3本の話だろうと思っていたんですよ(笑)
そうしてお互いのツテで大堀こういちや峯村りえ、みのすけ、田口トモロヲといった劇団員を集め、大槻ケンジや石野卓球、ピエール瀧が出演したりと、最初はナゴムのミュージシャンと犬山の知り合いと一緒にやっている感じでした。そして、3本目で田口トモロヲが辞めるんです。
当時のステージは"爆裂"という言葉が合言葉。ただただ力技で下ネタ差別ネタや中途半端なナンセンスギャグを連発するひどいものでした。「もっと爆裂しなきゃダメだよ」とかわけわからないこと言って。で、どこか演劇をバカにしていたんですね。演劇はハズカしいし、カッコ悪い。半ば悪意でやっていたんです。そんな中でトモロヲさんだけが演劇経験者で、一人だけ大人だった。言わば、先生みたいなトモロヲさんが抜けたことで解散したと言われるのが悔しくてもうちょっとやってみようということに。
そこから演劇をマジメにやることを考えるようになったんです。とはいえ、その後も基本コントの公演が続くんですが、ナイロンで再演するような『ウチハソバヤジャナイ』なんかをやった終盤頃から、自分の中で「演劇」が変わっていった。そしてちょうど20代最後の年の公演を最後に1年間休みました。ナンセンスなことを捻っていくと最終的にはなんでもないものが一番可笑しいというところに行きついた時、お笑いに限界を感じちゃった。これは"ヤバいな"と思って、心構えを変える、気持ちを変える意味で1年休んでから、ナイロンを旗揚げ。
そして1998年に上演した『フローズンビーチ』で、岸田戯曲賞を受賞しました。その一昨年前に松尾スズキさんがこの賞を受賞して、我々みたいなお芝居でも賞が頂けるようなムードになっていたんです。ここでまた犬山が一言、「この芝居で岸田戯曲賞がとれればいいのに」と、ある取材で言ったんですよ。活字になってしまったその一言がスゴいプレッシャーで、必死に書きました。
それが本当に受賞という結果になったとき、劇団員全員がとても喜んでくれたんです。自分がうれしいことよりも、周りがすごく喜んでくれたことがうれしくて。この作品と受賞は大きなターニングポイントになっていると思います。
このターニングポイントを経験して、"続けなきゃ"という気持ちが固まりました。最終的に演劇に対して反旗を翻すなら正統派の演劇もちゃんと学んだ上で翻すべきだなというような思いもあって、視野を広げることになったきっかけですね。
こうしてみると、これまで劇団によって続けさせてもらっているという感じがします。これまでもいろんなアクシデントとか、劇団の結束力がなければ乗りこえられないような壁がいくつもあったけれど、その度に役者もスタッフもみんなで一致団結して乗り越えてきた。その恩は芝居の中身で返すしかないんだよね。お金で返せないから、「こんな作品に関わることができたんだ」っていう風に思ってもらうしかない。多少大変な目にあわせても最終的にこれだけの作品ができたと。そこを目指すしかない。とにかく一生懸命おもしろい作品を創ろうと、常に思ってきたおかげでここまで来れました。
今年は40代最後の年なので、やり残したことを全部やりたい、リスクを恐れずに冒険しようという覚悟が例年よりはるかに強くあります。その最初の作品となるのが、女優・広岡由里子とのユニットオリガト・プラスティコの公演。ユニットが生まれる前からこの謎の多い女優とやってみたかったんです(笑)5作目となって随分と彼女の弱点も武器もわかってきたので、今回は、広岡の常軌を逸した一面をみせたいですね(笑)。ブレーキをぶっ壊せたらいいんじゃないかなと思っています。狂気と正気が拮抗していく話を、怪優が怪演するお芝居ってことで、かなり思い切った演出をしなければと思っています。昭和20年代に書かれたとか、シェイクスピアの翻訳家として有名な人が書いた戯曲ということで、堅苦しく思われがちですが、一言でいってとんでもなく面白くて妙ちくりんな"お化け屋敷"のような作品。11ステージしかないので、再演はしないと思うので観とかないと損ですよ(笑)。
- オリガト・プラスティコVOL.5 『龍を撫でた男』
怪女優広岡由里子と劇作演出家ケラリーノ・サンドロヴィッチのユニット、オリガト・プラスティコ5回目の公演。
オリガトは毎度、かなり偏った演目をやるのでおなじみだが、今回もなかなかよそでは観ることのできない作品の上演が実現した。
巨匠、福田恆存の代表作「龍を撫でた男」。初演は昭和27年(文学座)。
十年前に不慮の事故で子供二人を亡くした、倦怠気味の精神病医夫妻。孫の死で彼の母親は発狂。同居している妻の弟は情緒不安定。ある元旦の午後、友人の劇作家が、女優である妹を伴って夫妻の家を訪れる――。 そんな風にして始まる、怪しくてエロティックで、とんでもなくヘンテコリンな戯曲。
ケラリーノ・サンドロヴィッチ自身、「冒険する」と宣言した怪作であるからして、観るものすべてに衝撃を与えることまちがいない!
東京 2月3日(金)〜12日(日) 本多劇場
取材・文・撮影/カネコダイゴ







