- 小堺 一機(こさかい・かずき)
- 1956年1月3日生まれ。千葉県市川市出身。大学3年生のとき『ぎんざNOW!』の「素人コメディアン道場」17代チャンピオンとなり芸能界入り。『ライオンのごきげんよう』(フジテレビ)での司会業やタレント業などで人気を呼ぶ。また、自身が演出する舞台『小堺クンのおすましでSHOW』は、2010年9月の公演で25回目をむかえた。『グランドホテル』などのミュージカルにも出演し、希有な存在感を発揮している。
芸能界との出会いは、偶然のようなものでしたからね。いつまでも仕事をもらえなかったり、関根(勤)さんとやったライブにお客さんが3人しか入らなかったりしても、「チクショー、いつか這い上がってやる」みたいに思ったことはなかったんです。
その気持ちに変化があったのが、『欽ちゃんのどこまでやるの!?』(テレビ朝日)に起用されて、萩本(欽一)さんの仕事に対する姿勢を見てからです。このままじゃいかん。きっと後で後悔してしまう。芸能界にいられなくなり、酒を飲むとグチるダメオヤジになってしまう、と。
さかのぼって考えると、小学校のころから合唱団に所属してテレビに出たりしてはいたものの、一生懸命になった覚えがありませんでした。番組が終わって、他のメンバーには仕事があったのに、僕だけ呼ばれなくても、「そういうもんなんだな」と思ってたし、『ぎんざNOW!』(TBSテレビ)が終わったときも同じでした。そもそもこの番組には、合唱団で一緒に歌ってた友達が番組内コーナーの「素人コメディアン道場」に応募してくれたのがきっかけなんですけど、僕はただTBSに行ける、芸能人に会えるってだけで行ってました。田中邦衛さんに「Fリハ(リハーサル室のこと)ってどこ?」って話しかけられて、すげぇなって盛り上がってた。
すべては自分が決断して事を起こしたわけじゃなくて、人任せだったんですね。小学生のころ、寿司職人の親父に「お前はそうやってチャランポランだから続かないんだ」って言われたことも思い出されました。そして、萩本欽一という大コメディアンからいただいたチャンスを生かさなければと、初めて奮起したんです。
『小堺クンのおすましでSHOW』を始めたのは、初の司会番組をいただいた翌年のこと。実はこれも、自分の決断ではないんです。まわりからお尻を叩かれて日本舞踊やジャズダンス、タップダンスなどを習っていて、お師匠さんたちから「人前で恥をかくことも勉強だよ」とアドバイスされて引き受けたことで、25年も続くとは少しも思ってませんでした。ところが、やってみると楽しかったんです。ショーはさておき、関根さんとのコントも大受けで、調子に乗って時間オーバーするまでやっちゃったり。でもね、お客さんにヤジられたりした経験もあるだけに、「勘違いしないようにしようね」とふたりで話してました。萩本さんが「客の笑いを聞き分けろ」って言ってた意味が初めてわかったんです。その笑いが本心からの笑いなのか、それともまわりに釣られて笑ったのか、すべったギャグへの苦笑なのか、聞き分けられるのがプロなんですね。そういう意味でも、とても勉強になりました。
5回目の公演を終えたときのことです。関根さんが「ふたりだけで話したい」って言ったきた。真面目な話をするのって、それまで一度もなかったからおかしいなと思ってね。するとそれは、「『おすまし』を卒業したい」という話でした。言われてみれば当然で、僕も先輩の関根さんに脇から手伝ってもらうのが心苦しかったんです。でも、気になるから「嫌だったですか?」と聞いたら、「僕も自分なりの公演をやりたいんだ」って。つまりそれが、関根さんがカンコンキンシアターの座長になるきっかけだったんですね。じゃあ、僕も恥ずかしいことはできないなと思って、6回目の「おすまし」からは自分で作・演出を手掛けるようになって、いい意味で関根さんと張り合う関係になりました。この間、関根さんと「いつまで続くのかな」って話をしたんですけど、「お客さんがひとりもいなくなるまでやればいいんじゃない?」って結論になりました。
40歳を過ぎてからは、『THE GOODBYE GIRL』(1997年)をはじめ、多くのミュージカルに起用されて、実りある日々を送ることができました。とはいえ、ミュージカルに目覚めたのは遅いんです。高校時代までは、出演者が突然歌ったり、踊り出したりするのに違和感を感じていましたし、映画『ザッツ・エンターテインメント』に感動しても、同じことを自分がやれるとは思ってもいませんでした。
きっかけは10数年ほど前、テレビ番組の企画でニューヨークに行ったときのこと。ブロードウエイの舞台のすべてを、一週間かけて経験する様をリポートするという番組でした。正直なところ、最初は「古い劇場でやってんだ」なんて思ってました。でも、それが伝統なんだと気づくにはそれほど時間がかかりませんでした。お客さんたちの感情移入の度合いもすごく、舞台に積極的に参加している感じなんです。本場の文化の深さを思い知りました。
以後、番組で行く機会がなくても毎年、自主的にニューヨークに通うことになったんです。面白いもので、ミュージカルが好きになればなるほど、「やってみたい」と思う作品をやらせていただく機会が増える。幸せなことですね。
ところで、森繁(久彌)先生が「歌は語れ、セリフは歌え」とおっしゃっていましたけど、今回の『わが町』のようなストレートプレイもミュージカルも、本質的にはそれほどの大きな違いはないと思っています。僕の役は、ストーリーを客観的に見つめる語り部のような役割で、2009年に出演したミュージカル『ドロウジー・シャペロン』で演じた役と似た部分を感じます。できればお客さんに、すんなり物語に感情移入してもらうような案内役になりたいと思っています。
- JAPAN MEETS・・・ ─現代劇の系譜をひもとく─ Ⅲ『わが町』
1938年に発表され、ピュリッツァー賞を受賞、現在も世界中で上演され続けるソーントン・ワイルダーの不朽の名作『わが町』を新国立劇場の中劇場で上演!
あえて舞台装置をもうけず、ほぼ何もない舞台の上で役者と観客の相互の想像力ですべてを進行してゆく様式は、現代劇の原点ともなった作品だ。物語を進行する舞台監督役に、エンターティナーとして定評のある小堺一機。音楽に新進気鋭のピアニスト稲本響を迎え、愛用の伝説的名器スタインウェイと共に、生演奏のピアノ一台で、劇空間を作り上げる。また、斉藤由貴、相島一之、鷲尾真知子、佐藤正宏ら、素晴らしいキャストが集結し、2011年新春を盛り上げる。
東京公演 2011年1月13日(木)~1月29日(土) 新国立劇場
取材・文/ボブ内藤 撮影/桑原克典(TFK)











