- 宮本 亜門(みやもと・あもん)
- 1958年1月4日生まれ。東京都出身。出演者、振付師を経て、2年間ロンドン、ニューヨークに留学。
帰国後の1987年にオリジナルミュージカル『アイ・ガット・マーマン』で演出家としてデビュー。2004年に、ニューヨークのオンブロードウェイにて『太平洋序曲』を東洋人初の演出家として手がけ、翌年トニー賞の4部門でノミネートされる。2011年1月にオープンするKAAT神奈川芸術劇場の芸術監督に就任。
僕の中ですべてが始まったのは高校2年生のとき、不登校になって引きこもった部屋の中でした。約1年もの間、ろくに外出もせずにオペラやミュージカル、ときどき井上陽水と、数十枚のレコードを何度も聴く毎日を過ごしていました。そして、音楽から感じられるドラマに感動するうち、それを形にしたいと思うようになったんです。このまま社会から外れた人間と思われて人生を終わらせたくない。自分が感じた感動を誰かに伝えたい。演出家になるという夢は、そうしたせっぱ詰まった状況から湧いてきたものでした。
考えてみれば、父が営む喫茶店が新橋演舞場のすぐ向かいにあり、赤ん坊のころから出前をする母の背中ごしに舞台を観るような環境で育ってきましたから、劇場は日常的に存在するものでした。
とはいえ、人とコミュニケーションが下手なのは相変わらずで、演出家になるための第一歩を踏み出すまでには時間がかかりました。仏像や神社仏閣が好きでお寺めぐりをしたりしていましたが、それでコンプレックスがなくなるわけでもなく、玉川大学の演劇専攻科へ進学したのは、自分で自分の背中を押すようなつもりでした。
大学では、ある尊敬する先生から、共同作業でしか演劇は産まれないという現実を徹底的に叩き込まれました。そんなある日、親にも内緒でこっそり受けた舞台のオーディションに受かり、その先生に相談したところ、「君は大学に閉じこもるのではなく、外の荒波にもまれて自分を鍛えろ」と言われました。両親は驚いていましたが、「学歴ではなく経験」という先生のアドバイスを受けて中退を決意するんです。
人とコミュニケートすることが下手だというのは、演出をしてみたかった自分には大きな障害でした。だから、俳優として、ダンサーとしてオーディションを受け、さまざまな公演にチャレンジするという経験が必要だったんです。そして、そのおかげでこうして人前でしゃべることができました。今や、「しゃべり過ぎる」と注意されるくらいにね(笑)。
一般的に、演出家になるために必要なスキルとは何か?
その質問に答えるのはとても難しいですね。答えは演出家の人数だけ存在するのではないでしょうか。僕の場合、ある大学の先生から「好きな作品があったら何回でもくり返し観なさい」と教えられたことが役に立ちました。そうして作品を分析することにより、ただ「好き」だと思っていたことに深い意味合いがあることを知り、演出家の仕事の意義を感じました。
また、僕はオーケストラのリハーサルを見るのが好きなんですが、ある指揮は実に巧みに楽団員をあやつっていました。それは、言葉が巧みだからではなくて、感覚を伝える術に長けていたからです。人間同士が向き合えば、言葉にたよらずとも、多くのことを伝えることができるという例とも言えます。
僕が演劇を創る上での最も重要なスキルだと思うのは、想像力です。演劇は、人間の想像力を最大限に引き出せると僕は思っています。そのために、こちらも想像力を最大限に発揮し、観客に投げかけたい。台本を読み、音楽を何回も聴き、溢れ出そうになるくらいのイメージを膨らませます。それを本番まで、「今、何を伝えるべきか」を軸にどんどん削ぎ落としていって、最終的な形にするのが僕の演出のやり方です。
演出をしていると、頭が休むことはまったくありません。芝居のことをずーっと考えているので、そこから逃げ出したくなることもあります。
特に96年ごろは、ミュージカルやオペラやストレートプレイなどを行き来するうち、なぜホームグラウンドを持たないのかと、僕を批判する人も多く、くたくたに疲れ果ててしまいました。
そのころです。沖縄に移ったのは。演出家になってそろそろ10年がたとうかという時期でした。そして、沖縄の自然の中で時間を過ごすうち、それまでの自分を客観的に見直すことができ、自分が一面的な視点に凝り固まっていたことがよくわかりました。自分を勝手に劇場という空間に閉じこめ、都会の論理だけですべてを見てしまっていたんですね。じーっと海を見ているうちに、大好きな演劇をもう一度手掛けてみたいという情熱が沸き上がってきました。高校時代の引きこもり期間からすべてが始まったように、僕には必要な熟成期間だったのかもしれません。
これまで僕は、壁に突き当たるたび、もがきながら答えを見つけてきました。ですからKAATの芸術監督の依頼を受けたときも、すんなりと決断することはできませんでした。芸術監督といえば、劇場の芸術的な方針を決め、それに沿ってどのようなプログラムに取り組むかを決める重責を背負わなければなりません。始め、僕にはまったく向かない仕事のように思えました。でも、「人はいかに生きるべきかを観客とともに考える場を作ることが、芸術監督だからこそできるんじゃないか」という根底の考えに戻ったら、発想が180度変わったんです。150年前の開国開港以来、海外の文化が上陸してきた横浜というこの地から、日本の文化を逆発信するという挑戦を前に、今は本当にわくわくしています。
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KAATこけら落とし公演
『金閣寺』 2011年1月にオープンする神奈川県立新ホール「KAAT神奈川芸術劇場」の初代芸術監督に演出家、宮本亜門が就任した。オープニング公演では、三島由紀夫の小説「金閣寺」を舞台化。宮本自ら演出を手掛ける。金閣を深く愛しながらも、やがて放火に至る若き僧侶・溝口役は、宮本亜門いわく「日本文学史上、最もやりがいのある役の一つと言っても過言ではない」が、その大役に起用されたのは、いのうえひでのり作品や蜷川幸雄作品に続けて出演するなど進境著しい森田剛。その他、高岡蒼甫、大東俊介、高橋長英、瑳川哲朗ら実力派が脇を固める。宮本亜門の「日本に焦点を当て、神奈川から世界へ向けて、日本オリジナルの世界基準の作品を」との壮大な夢を受けとめよ!
神奈川公演 2011年1月29日(土)~2月14日(月) 神奈川芸術劇場
取材・文/ボブ内藤 撮影/桑原克典(TFK)











