【注目インタビュー 私のターニングポイント Vol.106】橋爪功『演劇に集まった人と人との間には無限の力が生まれる可能性があるんです』(掲載開始日:2010年8月5日)

橋爪 功(はしづめ・いさお)
1941年9月17日生まれ。大阪府出身。文学座研究所卒業後、劇団「雲」を経て、75年、芥川比呂志仲谷昇岸田今日子らと演劇集団「円」の創立に参加する。テレビ、映画などに多数出演する他、『シラノ・ド・ベルジュラック』、『雰囲気のある死体』、『野田版・国性爺合戦』など精力的に舞台にも出演。8月10日~9月20日に開催される「第1回したまち演劇祭in台東」では、運営委員会委員長をつとめる。

芥川比呂志さんと出会ったことは、人生を左右する大きな出来事でした (橋爪功)

11歳年上の兄が学生演劇をやっていまして、「栗まんじゅう食べさせてやるから」って子役で参加したのが初舞台ということになるのかな。5歳のときだから、大したことは覚えてません。

その後、大阪から東京の高校に転校したとき、演劇部というのが他の部と比べて大人っぽい印象があってね。小さいころから父に連れられて歌舞伎を観劇したり、終戦後に海外からたくさんの名画が入ってきて、それを夢中で観たりしていたから、演劇に興味を感じる素地はもともとあったような気がします。

ただ、プロの俳優になろうなんて気はまったくなくて、19歳になって文学座附属の演劇研究所の1期生に応募したのは、他に行くところがなかったから。学生時代は遊びほうけて、勉強のほうはサッパリだったんです(笑)。文学座が12年ぶりに募集したオーディションだったから、競争率はそうとうのものでしたが、それこそ考えつくあらゆる神様に「受からせてください」って、お願いして。なにしろ、他に行くあてがないわけですから。

でもそこで、/芥川比呂志さんと出会ったことは、僕の人生を左右する大きな出来事でした。この出会いがなかったら、芝居を続けてたかどうかもわからない。シェイクスピアやロシアの演劇を知ったのは芥川さんからだったし、四六時中くっついて歩いて、芝居というもののエッセンスを吸収しました。芥川さんのお父さん(龍之介)の小説に『蜘蛛の糸』ってありますけど、演劇という蜘蛛の巣にからめとられちゃったようなものですね。

役がつかずにくやしい思いもしたけど、一度も辞めようとは思わなかった (橋爪功)

文学座を離れて/劇団雲に移ったのは、芥川さんと行動を共にするためでした。ただ、劇団を移るということは、下っ端からやり直すようなことですから、なかなか役がつかなくてくやしい思いをすることもありましたよ。

そのときの名残りか、僕は今でも台本の自分の役のセリフに頭から番号を振るクセがあるんですが、当時は1つとか3つしかセリフのない役ばかり。「『......』入れたらフタケタいくのにな!」なんて台本をにらむ日々が3~4年続いて、大岡昇平さんの『遥かなる団地』(1967年)という公演で初めて60くらいセリフのある役がまわってきたんです。それが、25歳のとき。それまで準劇団員としてくすぶってきて、「ホームランを打ったら劇団員にしてやる」なんて言われてまわってきた初めてのチャンスです。だから、その公演がきっかけで劇団員にしてもらったときはうれしかったね。

このころ、一緒に集まってはクダ巻いてた仲間のひとりが同級生の北村総一朗です。台本に20代の若者の役があったりすると飛び上がって喜んで、ところが30代の先輩に持っていかれて歯がみしてくやしがったりね。演技を学ぶどころか、大道具の積み込みとバラシばかりうまくなって......、まぁ、そういう恨みつらみがパワーになって、ここまで続けてこれたという面もあるんでしょう。どれだけくやしい思いをしても、自分から辞めたいと思ったことは一度もなかったからね。

(北村)総ちゃんにしても、同じなんじゃないかな。彼がテレビで売れたのが50歳後半、いや60歳を過ぎてからだけど、今でもCMでいい扱いで露出しているのを見ると、もう自分のことのようにうれしいんです。

人生の要所、要所で印象的な人との出会いがあった (橋爪功)

人との出会いには、恵まれたと思っています。テレンス・ナップ(英国の俳優、演出家)、故安西徹雄(英文学者、演劇集団円の創立メンバー)、それから野田(秀樹)など、キーパーソンとなるような人との出会いが10年おきにやってきました。

1994年から行っている菜の花舞台も、静岡県土肥町(現・伊豆市)の若者たちとの出会いから始まりました。彼らと酒を飲んでいるとき、「菜の花に埋もれた舞台の上で、薄衣をまとった美女が踊っている野外劇を観てみたいな」という話になったんです。最初は裏方のつもりだったんですが、地元の子供たちを舞台に上げて「大人と子供が一緒になって楽しめる演劇」というアイデアが浮かんできたときには「面白いな」とのめり込んでいくようになりました。舞台は、閑散期の畑に植えた菜の花畑。野外劇ということで、雨や雷、強風に邪魔されたこともあるけど、毎年、この時期になると血が騒ぐんです。今年も4月に17回目の公演を終えましたけど、ここで全力投球できるかどうかということが、自分の気力・体力を試すバロメーターになっていますね。

今回、第1回したまち演劇祭in台東の実行委員のひとりとして企画から参加させてもらったのも、演劇集団円が10年ちかく台東区・田原町に居を構えてきたことが縁になっています。たくさんの方が応募してくださって、選考会議は楽しかった。舞台は廃校を利用した施設だったり、浅草花やしき内の劇場だったり、決まりきった舞台ではないんだけど、台東区という大きな闇鍋の中に「演劇のごった煮」と言えるような状況が生まれてくるのではないかと思っています。演劇を中心に人と人が集まると、すごい力が生まれることがあるんです。足し算ではなくて、かけ算のパワーが生まれるんですね。一体、どんなものが出てくるのか、今から楽しみですね。

橋爪功さんへQ&A

Q:もし、俳優になっていなかったら?
A:親父も兄貴も理科系だったので、ある日、
将来のことを聞かれて「原子力をやりたい」
なんて言ったことがあります
Q:最近、ハマってることは?
A:趣味というものを持ったことがないんです。
庭に出ると、作りかけの椅子とか、忘れられた
プランターなんかがゴロゴロ出てきますよ。
Q:落ち込んだときに食べるパワーフードは?
A:カマボコには執着心があります。ビールや日本酒にカマボコがあれば、あとは何もいらない。

これから演劇を楽しもうと思っている人へ

子供は、みんな名優だって言葉があるじゃないですか。新しい遊びを考えるアイデア力、コミュニケーション力、それから親の心をとらえる表現力。演じる力って、誰もが持っているものだし、本当はプロもアマチュアもないはずなんです。その能力を解放してみると、演劇って、もっともっと楽しめるものだと思いますよ。とにかく劇場へ足を運んで、試してご覧なさい。

これから演劇をしようと思っている人へ

こういう質問には、「やめときなさい」って答えてます。とにかく、俳優というのは、やってもやっても終わりがありません。身体を鍛錬するだけじゃだめで、頭もハートも肥やさなきゃいけません。強度の自己嫌悪におちいることもあるだろうし、それを乗り越えるときの苦痛は大変なものですよ。それから、いつまでやっても演劇だけでは食えない状況は、今の時代も同じ。よほどの覚悟が必要であるということだけは申しておきます。

橋爪功さんの次回公演情報

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第1回したまち演劇祭in台東

第1回したまち演劇祭の目的は、大衆演劇発祥の地である台東区の魅力を国内外に発信するとともに、区内全域のにぎわいを創出すること。旧小島小学校跡地に整備された「小島アートプラザ(台東デザイナーズビレッジ)」講堂をはじめ、歴史と伝統に溢れる区内6つの劇場で開催されるユニークな演劇祭だ。演目も、チェーホフ演劇、コント、ボードビル、マッスルパフォーマンスなど、バラエティに富んだ内容。なお、演劇集団円による『死んでみたら死ぬのもなかなか 四谷怪談‐恨』(朴璐美・主演、8月20日~22日)もこの演劇祭の参加作品。お見逃しなく!

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取材・文/ボブ内藤 撮影/清水真帆呂(TFK)

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